プロフィール

奥澤智宏(おくざわともひろ)のプロフィール

奥澤 智宏 (おくざわ ともひろ)
1976年生まれ
家族構成 妻 子供2人

大阪府出身
東北大学大学院工学研究科 修了
大阪FX教室 学長

2014年 投資スクールを始めるきっかけ

 私は幼少期時代、大阪府の交野市で過ごしました。交野市は大阪府の東北にあり、大阪と京都のほぼ中央に位置しています。見渡すところは全て田んぼの田舎町、近くには天野川(天の川)が流れ、日本での七夕伝説発祥の地と言われています。毎年、7月7日七夕の日に、町内会や幼稚園で短冊に願いごとを書く風習があり、周りの友だちは大人になったら、「ウルトラマンになりたい」、「仮面ライダーになりたい」と子供らしい夢を書いている中、私は、「お金持ちになりたい」と、何とも子供らしくない願いごとを書いていたらしく、その頃から投資で成功したいという強い願望があったようです(笑)

 実際に私が最初に投資を始めたきっかけは何だったのか?それは誰もが考える「もっと贅沢したい」、「会社に縛られない自由な生活を送りたい」と単純に思ったからです。ちょうど2001年、大学院を修了し、大手電機メーカーに入社した年に投資を始めました。最初に始めた投資は、「中国株」。当時、北京オリンピックや上海万博などが始まり、世界の工場として中国が発展していくと期待されていたので、それに乗っかるべく、中国株を選びました。

 新入社員の頃のボーナスは約50万円、将来の夢を見て、全額中国株に突っ込みました。実際、中国の経済発展は凄まじいものでした。50万円が100万円、200万円と増え、気付いたら800万円くらいまで利益が膨らんでいました。その頃の年収は450万円ほど、ビギナーズラックとは言え、新入社員が800万円も急激にお金が増えたら、それは嬉しくて嬉しくてたまりませんよ。労力もかけずにお金が増え、この先、どんな明るい未来が待っているんだろうと毎日ワクワクして過ごしていました。さらに仕事でも、良い上司、やりがいのある仕事に出会い、入社5年目で最短で昇格試験に合格、充実した毎日を過ごし、投資だけでなく、仕事も絶好調でした。このまま、人生、何もかもがうまくいくと本気で思っていました。

 しかし、人生やっぱりそんなに甘くありませんでした・・・。2006年、仕事の部署異動で人生は一気に反転。新しい上司に嫌われてしまい、関係が劇的に悪化、口もきいてもらえない状態に・・・。ぎくしゃくした環境の中で仕事をする状況になり、毎朝、通勤電車に乗るとめまいがし、これまで上がり続けていた、昇給も失速し始めました。新築のマンションも買ったばかりでしたが、いつか地方に飛ばされるだろうと覚悟を決めなくちゃいけない状態にまで陥っていました。

 そんな中でも、私には唯一、人生を好転させる武器、「投資」が残っていると自分を奮い立たせていました。いつ転勤になっても会社を辞めれるように運用額をこれまで以上に一気に増やしました。その矢先に、災難去ってまた災難。2007年から2008年にかけてリーマンショックが勃発。800万円あった利益が600万円、300万円と減り、どうせ、また上がるだろうと更に資金を投入したら更に下落が加速・・・。毎日、10分おきに下落し続ける株価をチェック、夜も熟睡できず、人生が投資に毒されたような状態でした。もう耐えられない!と意を決して損切りをしたときに、そこから一気に株価は上昇していきました。もうダメだ、大失敗です・・・。私は悔しくて悔しくて、やり場のない気持ちでいっぱいになっていたのを今でもはっきりと覚えています。その後は再度、投資で成功できるように猛勉強が始まりました。しかし、どれだけ勉強しても何が悪いのか分からず、一向にうまくいきません。気付いたら、大金を失った後も投資と教材代で更に数百万円ほど損失は膨らんでいました。

 私に転機が訪れたのは、2009年、元金融機関で働いていたプロの株式トレーダーとの出会いでした。ネット上のエクスチェンジ・スタディの掲示板で出会い、私がパソコンのスキルを教える代わりに師匠が私に株式のノウハウを教えるという好条件。師匠はパソコンでチャートを見ることが苦手でゴールデン・チャートという分厚い電話帳のような本を見て、電話注文で取引きをするという超アナログ人間。それで、パソコンのスキルを手取り足取り教えてくれる人を探していたみたいです。私に断る理由は一切ありませんでした。その日から、毎週、会社が休みの土曜日に師匠の住まいがある玉造駅近くのカフェに出向き、猛特訓が始まりました。師匠から学んだことはテクニカル分析の手法、手法だけでなく、投資というのは上か下か当てるだけの確率論、負けた時のことも考えて、資金管理を徹底することが重要、当たり前のことを当たり前のように習慣化することが成功の秘訣であるとマインドを学んだことが自分の一番変化するきっかけでした。毎週の個別指導を受けた後、1日24時間の中で仕事と寝る時間以外は全て勉強時間にあて、とにかく努力しました。その結果、当時、それほど大きくはないですが、いつ会社をやめても問題ないくらい利益を出せるようになっていました。

 そして、2014年、いよいよ転勤の辞令がでました。私は次の日に退職届を提出。投資で利益を出せるようになって約5年、幸いなことに退職するために十分なほど、資産を形成できていたので、「会社に残るのも良し」、会社を退職し、「新たな人生を歩むのも良し」、投資のスキルのおかげで「人生の選択肢」を増やすことができました。次の人生の選択をどうしようか暫く迷っていましたが、「私のように人生の選択肢を増やしたい」、「望まない仕事や人生を歩みたくない」と感じている人にきっと私のノウハウが役立つはずと考え、そのまま、投資スクールを開校したのが大阪FX教室誕生の瞬間です。

日本一教えるのが上手な投資教育者を目指して

 全ての人の「人生の選択肢」を増やしたい!私の新たな人生の選択で“投資スクール開校”に決めた理由はそれだけではありません。私より優秀な投資家なんて、ごまんといます。しかし、“投資を教えること”に関してはどうでしょうか?実は投資でうまく行っていないときに、数学や英語のようにちゃんと教えてくれる人っていないのでは?と、ずっと感じていました。

 優秀な投資家って直観的な人が多く、教えるとなるとあまり上手じゃないことが多いんです。それで、「投資家としては二流でも投資教育者だったら日本一を狙えるかもしれない!」そんな変な自信から投資スクール開校に至りました。

 しかし、その自信は全く根拠がない訳ではありません。実は、杜の都「仙台」で過ごした学生時代、数学と化学の塾講師をやっていました。校内成績が500位くらいの男の子を50位以内に引き上げ、その実績が認められて、大手電機メーカー社長の御子息の個別指導を担当し、教えることには実績があったからです。それで、「投資教育の分野なら日本一になれるのでは?」、「教えるのは得意なので、一番社会貢献できるのでは?」という気持ちが芽生え、投資スクール開校の道に進んだわけです。

 そして、開校から9年、1000人以上の個人投資家の育成に貢献し、色々なことにチャレンジしてきました。海外のFXトレードコンテストに参加し、2019~2021年まで3年連続で10位以内入賞、受講生も過去に3名が優勝。最近だと、お客様の資産運用や
より多くの人に人生の選択肢を増やしてもらえるように、投資教育者の育成にも力を入れています。まだ道半ばですが、日本一の投資教育者になって全ての人の「人生の選択肢」を増やすための努力は続きます。ぜひ今後も私の成長にご期待ください。

実績

・2009年投資を教わって1年後、本業以外の収入300万円
・2014年、転勤を機にPanasonic(株)退職
 専業トレーダーに転身、年収1000万円超え
・投資スクールを開講、1000名以上の個人投資家育成
・ 5000名が参加するFXトレードコンテストで受講生3名が優勝
・講師自身は2019年7位、2020年8位、2021年7位入賞
(夫婦で10位以内にW入賞経験有)
・2019年、2020年  7205名が来場した関西資産運用EXPOに登壇
・2020年 顧客の資産運用「大阪ミンテッジ」開始
・2021年 投資の先生を育成する講座をスタート

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